今回は、山梨県甲府市太田町にある「一蓮寺(いちれんじ)」をご紹介します。
以前ご紹介した、武田信義(たけだのぶよし)公を覚えていらっしゃいますでしょうか。あの方には何人か息子がいたのですが、嫡男に「一条忠頼(いちじょうただより)」という方がいます。
この方は、一条郷という場所に領地をもっていたことから「一条」と名乗っています。
以前、武田信義公の勢力を危険視した鎌倉幕府に勢力を削がれたとお話ししましたが、その一つが「一条忠頼公誅殺」です。謀反の疑いありと嫌疑をかけられて酒宴の席で殺されてしまいます。
その夫の死を悼み、霊を慰めるために一条忠頼夫人が一条の領地内に仏堂を建立したのが一蓮寺のはじまりとされています。
戦国時代には、一条小山(現在の甲府城)の地に砦を築くことになり、一条小山のふもとに移転します。
武田家が滅亡したのち、徳川・豊臣政権下において一条小山の地に甲府城の築城が開始されました。それにともない、最終的に現在の地に移転したということです。2回も引越しした寺です。
門は写真で見るよりも意外に大きいです。
よく見る「柳沢吉保(やなぎさわよしやす)」の肖像画が保存されているのが一蓮寺だったとは知りませんでした。柳沢吉保は、江戸幕府5代将軍徳川綱吉(つなよし)の時代に活躍した方です。塩山エリア恵林寺の回で少しだけ出てきました。
そしてこのお寺、旧境内に「正木(しょうのき)稲荷神社」と「遊亀(ゆうき)公園附属動物園」があります。面白いことにこの3つはほぼ繋がっています。寺院と動物園のコラボ。
では、境内を見ていきます。
晴れた天気ともあいまって、本堂はいい面構えです。
噂に聞いたことがあっても、実際に見たことがなかった「味噌舐地蔵」です。
自分の体で不調が出ているところとお地蔵さんの同じ箇所に味噌をつけてお祈りすると、その病が治ると言われています。実際のお地蔵さんを見てみると、、
ちょっとみにくいですが、顔に味噌が塗られていますね。味噌でだいぶ汚れてしまっていますが、年に一回年末年始に洗い流すそうです。
このお地蔵さん、甲府空襲でも焼け残った強者だそうです。w
先ほど紹介した、動物園は整備のため4年半ほどの休園となっていますのでご紹介できませんが、正木稲荷神社はまた回を改めてご紹介させていただきます。
では、これにて山梨武田史跡巡り〜「2度の引越し経験 一蓮寺」〜は終了となります。ご覧いただき、ありがとうございました。