「耳塚」(もしくは「鼻塚」)とは、戦死者の耳や鼻を弔った塚のことです。日本全国に存在しますが、中でも有名なのが京都市東山区にあるものでしょう。
この耳塚は、豊臣秀吉が朝鮮に出兵した「文禄・慶長の役」において明・朝鮮兵から切り取られた耳・鼻を弔ったものです。
天下統一を成し遂げた秀吉は、明の征服を企み、朝鮮に出兵します。
この際、戦功のしるしとなる首級をそのまま送るのが難しいため、やがて耳や鼻を切り取って送るようになりました。高さが約8メートルもある耳塚は、これらの耳・鼻を埋めた跡に築かれたものです。
耳塚のすぐ近くには、秀吉を祀る豊国神社があります。
豊国神社と秀吉の悪行の象徴である耳塚がすぐ近くにあるのがなんだか不思議な感じもしますが、良い評価と悪い評価が相半ばすることが多い秀吉について考えるのによいかもしれませんね。