「伏見奉行」は江戸幕府の遠国奉行の一つで、伏見と周辺の8カ村を支配し、御所の警護、西国大名の監視などを行なっていました。
鳥羽・伏見の戦いの際は、旧幕府軍の拠点となります。会津藩新選組が立てこもり、御香宮神社に陣を張った薩長軍と対峙しました。激しい戦いとなりましたが、薩長軍の砲撃を受けて炎上、幕府軍は敗走しました。
明治になると陸軍工兵16大隊が置かれ、敗戦後は駐留軍駐屯地を経て、現在は京都市営桃陵団地となりました。現在は団地前に碑が建てられています。