京都・河原町御池の交差点の南西角に「山本覚馬・八重邸宅跡」の石碑が建てられています。
山本覚馬は幕末の会津藩士で砲術家。明治後は京都で府政に携わりました。八重はその妹で、会津戦争で戦い、明治後は女子教育やキリスト教の布教を行いました。大河ドラマ『八重の桜』の主人公として有名ですね。
覚馬と八重は明治のはじめごろ、この地に住んでいたとされます。
この場所は長州藩の志士・吉田稔麿が池田屋事件で亡くなった場所でもあり、石碑には東側には「山本覚馬・八重邸宅跡」、西側には「吉田稔麿殉節の地」とあります。
公武合体派の代表である会津と、尊王攘夷派の代表である長州。最も対立していた2藩に関係する石碑が同じ場所にあり、しかも1つの石碑で兼用しているのが面白いですね。