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山梨武田史跡巡り〜「金山奉行大久保長安の墓 天尊躰寺」〜
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観光・レジャー
山梨県・天尊躰寺
今回は、山梨県甲府市城東にある、「天尊躰寺(てんそんたいじ)」をご紹介します。正直マイナーなお寺ですが、武田家に関わるのでご紹介します。
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このお寺は、1521〜1528年(大永年間)に武田信虎公が7歳で亡くなった信玄公の兄「竹松(たけまつ)君」の菩提を弔うために建立しました。信玄公、実は次男だったのです。
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このお寺の名称は、この竹松君の戒名「源證院殿天誉尊躰智光大童子」からとられているようです。
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もとは躑躅ヶ崎館の近くにありましたが、1592〜1596年(文禄年間)に現在の場所に移転されました。この時期は、善光寺の回で登場した「加藤光泰」とその後甲斐国に入った「浅野長政(ながまさ)・幸長(ゆきなが)」父子が甲斐国を治めていた頃です。
こちらが本堂です。
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功徳山(こうとくざん)とありますがこれは山号(さんごう)とよばれるもので、寺院につける称号です。
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今回は見られませんでしたが、本堂の中には年2回(1月15日と8月16日)御開帳される甲府市指定文化財「真向三尊阿弥陀如来」という中国の僧侶が描いた絹の図像がおさめられています。この図像は、信虎公が京都の岩清水八幡宮から持ってきたもので、病気の療養を祈願して書かれた図像だそうです。
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本堂のすぐそばには、「大久保長安(おおくぼながやす)」の墓があります。大久保長安とは、信玄公時代に金山奉行(金山開発を担当する役職)をつとめた人物です。武田家滅亡後、その才覚を生かして徳川時代にも佐渡金山や石見銀山などの開発に携わりました。
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しかし、晩年になると鉱山での金銀採掘量が減ったことで家康からの寵愛を失い、69歳で中風のため亡くなりました。死後になって生前の不正蓄財がバレて、息子たち7人は切腹させられた上、縁戚関係の諸大名たちは改易(かいえき)となりました。改易とは簡単に言えばお家取りつぶしです。
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長安は生前、自分が亡くなったら天尊躰寺に葬って欲しいと遺言していました。そういうわけで、ここに大久保長安の墓があります。
参道を進んでいくと、発掘調査により出土した移転前時代の五輪塔などがあります。元あった場所ですから信玄公時代のものが出土したということ。これはとても希少です。
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ちなみに武田信親公の回でもさらっと触れましたが、武田家滅亡の際、残党狩りから逃げ延びた信親公の息子信道公はこの寺で徳川家康に会っています。家康もこの寺に並々ならぬ思いがあったようです。
では、これにて山梨武田史跡巡り〜「金山奉行大久保長安の墓 天尊躰寺」〜は終了とさせていただきます。ご覧いただき、ありがとうございました。