大磯駅前から南に下り、国道一号線に沿って西に歩くとこの記念碑があります。
同志社大学創立者、新島襄が病気で倒れ、亡くなった旅館「百足屋」のあったところに1940年に建てられた碑で、碑文は同志社で学んだ評論家、徳富蘇峰の依頼により勝海舟によって書かれました。
2013年に放映されたNHK大河ドラマ「八重の桜」をご覧になった方は、新島襄の生涯、熊本洋学校の成り立ちと熊本バンド、同志社大学創立までの物語を覚えておられるでしょうか?綾瀬はるかさんの演じる新島襄の妻、八重の可愛さと逞しさに引き込まれて私は毎回はまってました(笑)「ならぬことはならぬのです」いいですねぇ。ちなみに新島襄を演じたのはオダギリジョー。ドラマの音楽担当は坂本龍一氏でした。
同志社大学関係者も京都からここに集い、碑前祭を行っているようです。
そういえば文豪・島崎藤村の終の棲家もサンフランシスコ講和条約を締結させた元首相・吉田茂邸も大磯にありますね。
日本の歴史に足跡を残した人たちが眠るこの大磯、実は「湘南」の発祥であることをご存じですか?(以前、ブラタモリで「湘南」特集をした時の情報です)大磯はロングビーチだけではない、奥行きのある街なのです。

昭和32年 大磯案内 その3|大磯町ホームページ

今回紹介する写真は、大磯随所にある「石碑」の写真です。最初に紹介する写真は「松本順謝恩碑」です。この謝恩碑は大磯海水浴場を開いた松本順への謝恩を表して建てられました。町民853人にのぼる寄付が集まったことからも、大磯町に深く関わりのあったことがうかがえます。次に紹介する写真は「新島襄先生終焉之地」の石碑です。この碑は昭和15年(1940)に、永眠50周年にあたり新島襄の門下生によって建てられました。最後に紹介する写真は「延台寺」の写真です。歌舞伎で有名な日本3大仇討ち物語の1つ「曽我物語」。この物語のヒーロー、曽我兄弟の兄・十郎祐成の恋人であった虎御前ゆかりのお寺です。延台寺は3回の大火に遭い、そのため仮設の期間もあったようです。今回掲載の写真は、再建前の延台寺です。N21313の写真に写っている「延台寺 曽我兄弟霊像 十郎祐成身代り虎御石」の石碑は延台寺に現存しています。

https://www.town.oiso.kanagawa.jp/oisomuseum/kyodoshiryokan/res/database/photograph/oiso_kouhou/1957_oisokouhou/20576.html

昭和32年 大磯案内 その3|大磯町ホームページ

今回紹介する写真は、大磯随所にある「石碑」の写真です。最初に紹介する写真は「松本順謝恩碑」です。この謝恩碑は大磯海水浴場を開いた松本順への謝恩を表して建てられました。町民853人にのぼる寄付が集まったことからも、大磯町に深く関わりのあったことがうかがえます。次に紹介する写真は「新島襄先生終焉之地」の石碑です。この碑は昭和15年(1940)に、永眠50周年にあたり新島襄の門下生によって建てられました。最後に紹介する写真は「延台寺」の写真です。歌舞伎で有名な日本3大仇討ち物語の1つ「曽我物語」。この物語のヒーロー、曽我兄弟の兄・十郎祐成の恋人であった虎御前ゆかりのお寺です。延台寺は3回の大火に遭い、そのため仮設の期間もあったようです。今回掲載の写真は、再建前の延台寺です。N21313の写真に写っている「延台寺 曽我兄弟霊像 十郎祐成身代り虎御石」の石碑は延台寺に現存しています。

https://www.town.oiso.kanagawa.jp/oisomuseum/kyodoshiryokan/res/database/photograph/oiso_kouhou/1957_oisokouhou/20576.html