兵庫県朝来市にある竹田城は、標高約353メートルの古城山(こじょうざん)、別名・虎臥山(とらふすやま)の頂に築かれた、壮大な山城です。
その美しい姿は「日本のマチュピチュ」「天空の城」とも称され、
いまでは多くの人々が訪れる名所となっています。
いまでは多くの人々が訪れる名所となっています。
また、その歴史的価値の高さから「日本100名城」にも選定されており、
保存活動が続けられています。
保存活動が続けられています。
戦国の波に翻弄された竹田城
竹田城が築かれたのは室町時代中期。
但馬の守護・山名宗全(やまな そうぜん)の命により、家臣の太田垣氏がこの地に城を構えました。
但馬の守護・山名宗全(やまな そうぜん)の命により、家臣の太田垣氏がこの地に城を構えました。
その後、およそ130年にわたって太田垣氏が城を守ってきましたが、
戦国時代末期、激しい時代のうねりに飲み込まれていきます。
戦国時代末期、激しい時代のうねりに飲み込まれていきます。
羽柴秀長と竹田城
1580年、織田信長の命を受けた羽柴秀吉が但馬国への侵攻を開始。
竹田城攻めを任されたのは、秀吉の弟の羽柴秀長でした。
竹田城攻めを任されたのは、秀吉の弟の羽柴秀長でした。
なお、2026年には羽柴秀長を主役とした大河ドラマ『豊臣兄弟!』の放送が予定されています。
竹田城も、もしかするとドラマの中に登場するかもしれません。
竹田城も、もしかするとドラマの中に登場するかもしれません。
竹田城攻略後、新たな城主として任じられたのが、赤松氏一族の血を引く斎村政広(赤松広秀)です。
政広は竹田城の大改修に着手。
今日、私たちが目にする堅固な石垣群は、彼の手によって築かれたものです。
政広は竹田城の大改修に着手。
今日、私たちが目にする堅固な石垣群は、彼の手によって築かれたものです。
雲海に浮かぶ竹田城
特に秋から冬にかけての早朝、条件が整うと川霧が発生し、竹田城跡がまるで雲の海に浮かんでいるかのような、幻想的な光景が現れます。
南東に位置する立雲峡(りつうんきょう)は、
この雲海に包まれた竹田城全体を一望できる絶好のビュースポットです。
この雲海に包まれた竹田城全体を一望できる絶好のビュースポットです。
竹田城跡へは、JR播但線「竹田駅」から徒歩、あるいは登山バスで向かうことができます。
道中は整備されていますが、登山道を歩くため、歩きやすい靴と服装をおすすめします。
道中は整備されていますが、登山道を歩くため、歩きやすい靴と服装をおすすめします。












