日本には各地に古くから受け継がれた綿花から糸を紡ぎ織物を作る文化が残っています。庶民の日常着として、または晴着や布団など嫁ぐ日に持たせるお祝いの品として、親から子へ、さらに孫へと代々大切に引き継がれてきました。
しかし、現代生活においては絣(かすり)や手織りの衣類を着る人はほとんど見かけません。
今や近くて遠い存在になった手織りの綿織物ですが、鳥取県西部にある弓ヶ浜半島は砂丘地で綿栽培と藍栽培に適した土地柄だったため、江戸時代には国内有数の一大綿策地帯でした。
そして、長年の研究を苦労を経て、繊維が太く弾力性に富み、軽く保温性に優れた伯州綿が作られました。伯州綿で作られた綿織物や加工品は、北前船によって運ばれ全国にその名が知られる藩の特産物でした。

しかし、明治時代になり安価な外国産綿が入ってきてからは、国産綿は衰退の一途をたどりました。そして、伯州綿や弓浜絣も例外ではなく、徐々に時代から取り残され忘れ去られていったのですが、その優れた伯州綿を復活させ弓浜絣の技術も後世に残すべく活動されている方々がおられます。
機織り機に触れるのは初めてで感動しました!

弓浜絣には一般的な模様の他に、目的別に様々な柄がたくさんあります。
下の画像の上段は「寿」「浦島」の文字入りのもの、下段は嫁入り道具の1つだった布団の端切れと現存する綿の着物です。
今では欲しい衣類やプレゼントする品が必要な時は、お店やネットで簡単に購入できますが、モノがなかった時代の庶民は、着る喜びや贈る方への思いを込めて、綿花を育て糸を紡ぎ、染め、一糸一糸長い長い時間をかけて織って作るのが当たり前だったのでしょうね。

いろんな年代の方が楽しそうに体験していました。
まず、収穫した綿花(コットンボール)から種を取り除きます。右手でハンドルをクルクル回しながら2本の丸い木の間を通すと、手前に種が残って取り除かれ、奥に繊維だけが残る仕組みです。

次に、繊維の塊状のものを均一の糸の状態(綿糸)にします。
右手で糸車を回しながら、左手で綿花を引いたり戻したりしながら糸状にして軸に巻き付けていきます。
両手の加減が難しくなかなか均一の糸になりません。よくテレビで観るように右手がくるくる連続して回っているのは、熟練の技だと改めて知りました。

丁寧に時間をかけて作業をしたのに、出来上がったのは太さがまちまちの糸でした。^^;

今回は染める工程は省き、出来上がった糸を選んで織り体験に移ります。
足でペダルを踏んで経糸(縦糸)を上下に分け、その間に舟形の杼(ひ)と呼ばれる糸が巻き付けられた道具を右、左と順番に渡しながら横糸を作ります。
そして、1本横糸を通すごとに、筬(おさ)を手前に打ち付けてパタパタとそれを締めて緩まないようにしながら進めます。
機織りといえば、この筬(おさ)をパタパタ打ち付ける場面を思い浮かべる方が多いでしょう。
足の動きを考えながら1本の横糸を通すのに汗だくで四苦八苦している私のお隣では、弓浜絣織り体験をしていた中学生男子君が、全くの初めてなのに手際が素晴らしく軽快な音を響かせるので、「ぜひ後継者に!」とスカウトされていました。

40分以上かかってようやく完成しました!汗
伯州綿で手織りしたコースターです。後日、上下の糸を房を仕立てて仕上がりです。

せっかくなので、弓浜絣織りも体験させてもらいました。柄はおめでたい鶴亀柄です。
糸がずっと細い上に模様合わせが必要なので、一段と時間がかかりました。
左右の両端に白い目印があって、それがピッタリ端に来るようにすると模様合わせが簡単にできるのだと知りました。なるほど・・・
しかし、そうだとしても本当に気が遠くなるような作業の繰り返しです。
反物を作るのに半年とか1年とかかかるのは当たり前ですね。私なら10年くらいは軽くかかるでしょう。いやそれでも完成は無理でしょう。

会場では弓浜絣の小物もたくさん販売されていました。

イベントがあったのは、市民図書館もある境港市民交流センター「みなとテラス」です。
みなとテラス住所:鳥取県境港市上道町3000
手織り体験でお世話になったのは、市内で活動されている「手織り工房 藍慈彩(あじさい)」の方々でした。
地元の文化を継承されている方々の熱い情熱と地道なご努力、高い技術力に触れ、新しい世界を知ることができて充実した時間を過ごせました。
電話:0859-46-0471
開館時間:9:00~10:00
駐車場:周辺を合わせて213台分あり
手織り工房 藍慈彩(あじさい)
住所:境港市上道町3492-1
※作品展&展示即売会も開かれます
・住所:境港市町8-1
・電話:0859-44-2000
・日時
2025年11月1日(土)10:00~16:30、11月2日(日)10:00~16:00