京都には、家と家を縫うように存在している細い道があり、それを図子(ずし:辻子)や路地(ろうじ)と呼んでいます。
今回紹介する膏薬図子(こうやくのずし)もその細い道の1つで、四条烏丸通から西へ少し歩いたところにあります。
交通量も人も多い四条通から一歩膏薬図子へ入ると、急に静かな空気になります。ちなみに図子(辻子)と路地は、通り抜けられる(図子)か、行き止まり(路地)になっているかの違いですが、現在はその違いもあいまいになっています。
この辺りは平安中期の歌人・大納言藤原公任(きんとう)の邸宅があったところで、のちに踊念仏で知られる空也上人が天慶元年(938)に道場を設けて念仏修行を始めた場所でもあります。
空也上人がその道場の一角に平将門を弔うためのお堂を建てたことから、「空也供養の道場」と呼ばれ、「くうやくよう」がいつしか「こうやく」へ変化し、今の名称になりました。
途中でかぎ方に曲がっている膏薬図子は、幅約2m長さは160mほどの短い道で、両側に並んでいるのは趣ある町家で、個人のお宅やカフェ、お店などになっています。
通りの中ほどにあるのが、将門をお祀りした「京都神田明神」
天慶3年(940)に起こった天慶の乱で戦死した将門の首が晒された場所と伝わっています。
無念のうちに亡くなった将門は三大最恐怨霊に数えられるほどに恐れられていたため、空也上人がその御霊を慰めようとされたのでしょう。
天慶3年(940)に起こった天慶の乱で戦死した将門の首が晒された場所と伝わっています。
無念のうちに亡くなった将門は三大最恐怨霊に数えられるほどに恐れられていたため、空也上人がその御霊を慰めようとされたのでしょう。
この日は扉が閉まっていて中に入れませんでしたので、表から手を合わせておきました。
京都神田明神の秋季例祭。
— りたりた@そうよ私は♏の女 (@PhantommondRita) 2024年11月28日
空也堂のお坊様が読経されておられました。 pic.twitter.com/8DMSG2VQmU
京都神田明神を過ぎた奥には木版印刷でかわいい和紙や雑貨を販売している「竹笹堂」というお店があります。でも私が訪れたときはまだ開店前、次の機会までのお預けです。
12月6日 土曜日
— 👠きりん👠 (@yurukiri_ojisan) 2025年12月5日
おはようございます☺🦒
今日は、京都市下京区の「竹笹堂」の紹介を…☺
京都・烏丸近くに佇む老舗木版画工房&ショップの竹笹堂は、明治24年創業の工房です。… pic.twitter.com/9UlU2TQtBO
通りにはこんな張り紙が。
風情ある町並みを守るためには、そこに住んでいる人たちの努力が不可欠。
ただ好きという気持ちだけでなく、ずっと守っていくんだという覚悟も大事なのですね。
どんつき(突き当り)を右に折れ、また左に曲がると綾小路通りにでます。
その角にはこんな住所表記の看板が!
最近は昭和初めのレトロな看板が珍しく、盗難されることもあるそうです。
注目されるのはうれしいですが、心無い人のふるまいを知るにつけ、悲しくなります。
綾小路通りを東へ歩くと、重要文化財に指定されている町家・杉本家住宅があります。
杉本家住宅の趣ある外観に誘われるように見学をしてきましたが、それは次回の記事で!












