下関旅行にて唐戸市場から赤間神宮に向かう途中にあった石碑です。この石碑は、与次兵衛ヶ瀬の碑というそうです。
よく見てみると、かなり興味深い歴史を思わせるものだったのでご紹介します。
関門海峡には非常に座礁しやすいスポットに、目印として碑が立てられていたそうです。その後灯台を設置するようになったので、その碑は撤去処分され現在そのレプリカがここに立てられています。
当時「死の瀬」とも呼ばれる座礁スポットで、なんと豊臣秀吉を乗せた船も座礁したそうです。
豊臣秀吉は織田信長の後継者としての地位を確立させ、九州平定と関東北条氏撃破を経て天下統一を実現した訳ですが、次なるステップとして佐賀県に海外出兵の拠点を置き、当時そこに駐屯していました。しかし秀吉の母の危篤が知らされ、秀吉は急遽大阪に戻ることになりました。
そして関門海峡を渡った時にこの瀬で座礁し、船は沈み秀吉自身も海に投げ出されたそうです。その時の船頭である、与次兵衛という方が責任を取って処刑されてしまったのですが、8年後にその与次兵衛を悼んで毛利氏がその瀬に与次兵衛の慰霊碑を建てました。
下関は、本当に歴史上の色々な人物の逸話が出てきますね。
私個人としては、邪馬台国の場所を知る上で重要な土地だとも思っています。
邪馬台国の場所については今後の考古学的な発掘を待つしかありませんが、日本と中国のそれぞれの使者が必ず通過したであろうこの下関に意外なカギがあるかもしれません。












