宮城県も順調に桜の開花宣言が出されました。週末はどの観光地もさぞかし花見客で賑わったことでしょう。
できれば人混みを避けたい地元民は友達と一足早く登米市(とめし)の「みやぎの明治村」にある武家屋敷のシダレザクラに会いに行って行きました。
天気も申し分なく、三分咲きくらいに開いた桜の花が迎えてくれました。
開花宣言前の平日の金曜日。ほとんど貸し切り状態。
登米市登米町(とめしとよままち)は北上川とともに栄えてきた街です。ここで少々解説を挟みます。
「登米市登米町」。同じ表記なのに読み方が違うので不思議に思う方もいらっしゃると思います。元々地元では「とよま」と呼んでいました。それが、後述しますが、廃藩置県が行われた明治時代、一時的にこの地に県庁がおかれた時に外からやってきた役人たちが「とめ」と呼んだことから二つの呼び名が出来ました。それからしばらくは「登米郡登米町」(とめぐんとよままち)でしたが、2005年の市町村合併により「登米市登米町」(とめしとよままち)が誕生しました。どう使い分けるのかが問題ですが、一般的に宮城県にかかる施設は「登米市」(とめし)です。県立高校は「登米高校」県警は「登米警察署」どちらも「とめ」と呼びます。以前から町で運営している公民館などは「とよま」を使います。こういった例は全国でも珍しいそうです。
さて、お話をもとに戻しましょう。「登米市登米町」は。山と豊かな田園風景が広がる自然豊かな場所です。朝ドラの「おかえりモネ」の舞台にもなっていますから、ご存知の方も居るかもしれませんね。だた、ちょっと他の街と違うのは、廃藩置県が行われた頃、一時的に「水沢県庁」として機能していた時期があった事。その当時に建てられた記念館(旧水沢県庁庁舎)や洋風建築や重厚な蔵造りの商家など明治を偲ばせる建物が今も随所に残っています。そのレトロな街並みを総称して「みやぎの明治村」と呼ばれているんです。
その中でも武家屋敷通りと呼ばれる一角は白壁の屋敷の中からシダレザクラの古木が道にせり出し、藩政時代の風格を醸し出しています。ほとんどが個人宅ですが、唯一「春蘭亭」だけが屋敷と庭を開放しており、畳の上で抹茶や和菓子を頂くことができます。
ところで「太白飴」なんですが、昔は石巻でもよく食べられていたのに、このところ全く見つけられなかった懐かしいお菓子なんです。
桜を眺めながらふとそんなことを考えていたら、駐車場向いの「とよま観光物産センター」に「太白飴」の幟を発見!これは行くしかない!
砂糖を一切使っていないのに、とてもやさしい甘さが口の中いっぱいに広がります。ただし歯に詰め物がある方は要注意。ヌガーのようにくっつきますから。
中身がひとつずつオブラートにくるまれているのも昔のまま。なんだか何十年も会わなかった旧友に出会えたような感慨深い気持ちになりました。10月下旬から5月までの季節限定販売だそうですので、もし出会えたら一度試してみてくださいね。