中国地方最高峰 大山(だいせん)は、出雲国風土記では国引き神話の一役を担った山として、その後、鎌倉から室町に至るまでの時代には、3000人もの僧兵が集い、高野山の金剛峯寺(和歌山県)や比叡山の延暦寺(滋賀県)と並ぶ一大勢力だった山です。
しかし、時代が進むにつれて大山にあった多くの寺院は徐々に減り、残った大山寺も明治には神仏分離によって大山寺と大神山神社奥宮に分けられました。
大神山神社奥宮は、大山寺内にあって信仰の中心だった大智明権現社(だいちみょうごんげんしゃ)と呼ばれた本社が分離されたもので、創建は平安時代後期といわれていますが詳細は分かっていません。
何度も火災によって焼け、現在の社殿は江戸時代後期に建てられたもので、国の重要文化財に指定されています。
その重要文化財に指定されている社殿の屋根の葺き替え作業が、27年ぶりに2022年6月から行われており完成は2024年秋の予定ですが、その最後の見学会に行って来ました。
日本一長い700mの自然石の参道を進み、ようやく本社にたどり着きます。
シニア層にとってはかなり過酷な道と思われるのですが、杖を突きながらご夫婦で参拝される姿が少なくありません。
大神山神社奥宮は特別な場所と思っている人は多いのかもしれません。
1年に1回の参拝を老化のバロメーターにし、毎年心して挑戦している人もいます。
予約で申し込みました。パンフレットとお土産の引換券がもらえました。
今回の修復工事は、準備を合わせると足掛け5年がかりで行っているそうです。
最後の特別拝観となる今回の修復見学は、長廊(南)の屋根の修復でした。
今回の作業は全て古来の手法を踏襲して修復を行っていて、便利さを追求した現代の道具は使用していません。人間の知恵と技術、経験が頼りの世界です。
まず、丸太状の吉野杉を「みかん割り」にし、厚さ3mmの薄い板状の杮板まで剥ぎ(※「そぐ」ではなく「へぐ」と言われるそうです)ます。
杮板はベテランの職人さんが頑張っても1日800枚しかできないとか。気が遠くなりそうな作業ですね。
ちなみに、大神山神社奥宮の屋根を葺くには30~31万枚必要だそうです。
次に実際に屋根を葺(ふ)いている様子を見学しました。
杮板は3mmなのでそれに合わせた3cmほどの竹釘を使って、杮板を3cmずつずらしながら固定していきます。
微妙な板の厚さを見極めながら、横のラインと厚さが正確に合うように見極めながら、すごい速さで竹釘を打たれていく技術に驚きました。
このお二人は前日までは大宰府で作業を行っておられたベテラン職人さんですが、その技をしても仕上げられるのは1日畳2畳分だそうです。
竹釘を口の中に入れて、それを1つずつ出しては屋根金槌(やねかなづち)の真ん中あたりに乗せ、一度屋根に叩きつけて軽く固定してから、今度は先の金属部分で完全に固定します。
この場で数えてみたら、竹釘40~50も口の中に放り込まれていることがわかり、ご自身が驚かれていました。一方の先はとがっているので、慣れない頃は口の中が傷だらけになって食事の時に沁みたそうです。
所々、銅版で強化しています。
杮葺の屋根は、木の油分や粘着力を利用した技法で一度葺けば約40年持つとのこと。でも、大神山神社奥宮の自然環境はかなり苛酷なのでどれくらい持つのでしょうね。
この技術は、ユネスコ無形文化遺産の「選定保存技術」に選ばれているそうです。日本の技術、素晴らしいです。
見学者も杮葺体験をさせてもらえました。
小さくて細い竹釘を屋根金槌の真ん中あたりに置いて軽く屋根に打ちつけ固定してから、金槌の先端で完全に固定します。
最初に屋根に打ちつけるところの力加減が難しいです。曲がったり倒れたりしてなかなか一度でまっすぐに固定できません。
でも、一生に一度の貴重な体験をさせていただきました。
職人さんの技術、本当にすごかったです。
また、こうやって遥か昔の人々から現代まで、日本の伝統文化を継承し、歴史を途切れさせることなく繋いでこられた方々の心意気と努力を目の当たりにして心から感動しました。
最後に「大神山神社奥宮屋根こけら板古材」をいただきました。
3年間ご利益があるそうです。
大神山神社奥宮
住所:鳥取県西伯郡大山町大山1
電話:0859-52-2507
駐車場:数台分有り
2024年10月には奥宮本殿の修復が完了し本殿遷座祭が行われる予定です。
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