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水戸学の道 大手門付近の散策と震災の記憶

まちフォト
茨城県・水戸市
茨城県水戸市にある水戸城大手門。
現在の大手門は令和2年に復元されたものですが、その大きさ、存在感は圧巻。
この門を見るだけで、水戸藩の格式と力の大きさが伝わってきます。

見上げるほどに、大きな門ですね。
水戸市では近年、水戸城跡の周辺を「水戸学の道」として整備。
散策を楽しめるような遊歩道が設けられています。

門前の橋からの眺めです。
土塁の高さがすごいですね。
お城の大きさが想像できます。

そして大手門を入ると、水戸城の遺構を残した散策道が広がります。
道路の両脇は、なんと学校ですよ。
幼稚園、中学校、高校などが並んでいます。
毎日、この門をくぐって登校できるなんて羨ましいですね。
学習意欲が高まりそうです!(理想ですが💦💦)

散策していると、見晴台への門がありました。
気になって、ちょっと入ってみました。

小径を抜けると、那珂川が一望できる高台に到着。
わあ! 水戸城って、高台に建ってたんですね。
周辺が平地なので、ちょっとビックリです!
そして、この景色で思い出したことがあります。
それは14年前の3月12日、震災翌日の光景です。
3月11日、大地震の後、学校から帰れなくなった我が子を迎えに行った時のこと。
普段なら車で1時間ほどの道のりが、大渋滞で5時間もかかってしまい、なんとガス欠になってしまいました。
帰るに帰れず、仕方なく車を置いて避難所で一夜を明かすことに。
その避難所がこの見晴台の隣にある中学校でした。
(当時、この中学校が水戸城跡にあるとは知らず、景色を見て思いだしました。)
夜が明けて見た光景は今でも忘れられません。
普段穏やかな那珂川は、津波で押し流されてきた流木で溢れ、どす黒い水が渦巻いていました。
水戸から那珂川河口までは約15Kmほど。
その距離を津波がかけ上がってきたことになります。
初めて見た津波の威力に驚き、また恐怖を感じたました。
あれから、あっという間に14年が経ち、震災の記憶も薄れかけてきましたが、あの時大変さ、地震の恐ろしさは忘れられません。

水戸学の道は整備され、きれいになりました。
そして、地震の記録、記憶は残していきたいですね。
震災の爪痕は消えてしまったように見えます。
ですが、記憶が消えたわけではありません。
震災の時は、たくさんの人にお世話になりました。
小さな親切や心遣いが、本当にありがたかったです。
その時の感謝の気持ちは、忘れずに恩送りしていきたいと思います。
水戸学の道https://www.city.mito.lg.jp/site/kankouinfo/1071.html
水戸学:
18世紀の末から幕末の時期にかけて、水戸藩独自に形成された学問。第9代藩主徳川斉昭のもとで尊王攘夷思想を発展させ、明治維新の思想的原動力となった。出典:Wikipedia