地元では「山科地蔵」と呼ばれ親しまれている徳林庵(とくりんあん)です。
京都で毎年8月の後半に行われている「六地蔵めぐり」の1つです。
六地蔵めぐりとは家内安全や無病息災を願い、京都市内の6か所にある地蔵尊を巡ります。
その際に「幡(おはた)」と呼ばれる札を集めます。

京都伏見には六地蔵という地名はありますが、正確には六地蔵というお寺はありません。

昔の話ですが、小野篁(おののたかむら)という人が熱病で亡くなり冥土へ旅立ったことが事の始まりです。
あの世で地蔵尊に出会った小野篁は、何故かその後に生き返ります。
この世に戻った小野篁は木幡山から木を切り出し、6体の地蔵尊を掘り、大善寺に納めました。

その後に天皇が京の都を守るため、街道の出入口6箇所に一体ずつ地蔵尊を移しました。
その一体が山科地蔵というわけです。
ちなみに六地蔵めぐりの場所は以下になります。

  • 大善寺(伏見地蔵) -奈良街道
  • 徳林庵(山科地蔵) -東海道
  • 上善寺(鞍馬口地蔵)-若狭街道
  • 浄禅寺(鳥羽地蔵) -西国街道
  • 桂地蔵寺(桂地蔵) -丹波街道
  • 源光寺(常磐地蔵) -周山街道
敷地東側の建物には大聖不動明王も祀られています。

徳林庵「琵琶法師の聖地」とも呼ばれています。
人望の厚かった琵琶法師の人康親王がこの地に住んでいましたが、28歳の時に病気のために視力を失います。
しかし周りに支えられ42歳まで過ごしました。
そのため、近くには人康親王が建てた十禅寺やお墓もあります。

裏手に回ると人康親王の供養塔があります。
草で見えませんが、石碑には「蝉丸・人康親王供養塔」と書かれています。

蝉丸は歌人・音楽家・盲目の琵琶法師でした。
蝉丸と人康親王は、その境遇が似ていたため、長らく同一人物と間違われていたそうです。

そのため石碑には当初、蝉丸の名前しか書かれていませんでした。
しかし後に別人だと分かり、人康親王の名前も刻まれました。

その横には・・・
可愛いお地蔵さん。
6体ありますが、こちらは六地蔵とは関係ないようです。

後ろの紙に「お賽銭は地蔵堂へ」と書いてあります。
六角堂とも呼ばれる地蔵堂。
この正面の格子の中にお賽銭箱があり、隙間からお賽銭を入れます。
上手くいくと賽銭箱の上に置いてある「おりん」に当たり、綺麗な鐘の音が聞こえます。

こちらの前には茶所。
ベンチがありますが、昔からこちらは休憩所として使われています。
今も自由に使えて、私もこちらで休ませて頂きました。

ここは東海道沿いで流通に利用されていたため、多くの牛車や馬車が往来していました。
その牛馬が水を飲んだ井戸。
手水盤は今でも使えるようですが、水は張っていません。
ところで井戸の横のマーク、見覚えがありませんか?

昔から「〇に通」は「通し飛脚」という意味があり、運送会社の日通のロゴはここから来ています。
やぁ、知らんかった~

ところで地蔵堂なのですが、訪れた際に奇跡的なことがあったので、もう1つブログを上げますね。


関連ブログ


徳林庵(京都市文化市民局が紹介していました
住所:京都府京都市山科区四ノ宮泉水町16
営業時間:24時間
拝観料:無料
その他:駐車場はありません。