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【仙台市】土井晩翠が晩年を暮らした旧邸跡「晩翠草堂」(ばんすいそうどう)
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趣味・カルチャー
宮城県・仙台市青葉区大町
仙台市中心部から西公園に向かう途中。ケヤキ並木が生い茂る大通りから一歩足を踏み入れると、突然200年ほど時間を遡ってしまったような感覚にとらわれてしまう場所があります。「晩翠草堂」です。
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”春高楼の花の宴”で始まる「荒城の月」を作詞した土井晩翠は、本名を土井林吉(つちいりんきち)といい、1871年に仙台市の北鍛冶町で生まれました。仙台第二高等中学校卒業後、東京帝国大学英文科に進学しました。後に仙台に戻り、母校でもある第二高等学校(現在の東北大学)の教授をつとめ、1949年に初めての仙台市名誉市民となり、1950年には詩人として初めて文化勲章を受けています。
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この邸宅跡は、1940年の仙台空襲で自宅と蔵書三千冊を焼失してしまった晩翠の教え子と仙台の有志達が、1949年に新たな住居を建てた時のものです。晩翠没後に仙台市に寄贈され「晩翠草堂」と改称し、無料で一般公開されています。
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ここを見学に訪れた外国人の方は口を揃えて「土井晩翠は本当に日本人なのか?」と玄関脇に掛けてある写真を見てそういうそうです。管理人の方に言われて私もじっくり拝見しましたが、確かに彫りが深くてなかなかのイケメン。身長も当時にしては背が高く170㎝はあったそうですよ。
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「英文学者」の肩書を持つ土井晩翠ですが、彼にはもうひとつの顔があります。宮城県内の多くの学校の校歌を手掛けているのです。仙台の映像情報施設「せんだいメディアテーク」が動画にまとめていますので、よろしければご覧ください。
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入口のすぐ左手には、仙台空襲で焼けたものの奇跡的に復活を遂げた、ヒイラギモクセイの古木があります。晩翠の命日(10月19日)付近になると小さな白い花を咲かせるそうですが、管理人の方のお話では「最近は花の数もめっきり少なくなりましたね。樹木にも寿命というものがあるそうですから仕方ないんですが」そう呟いた口調がなんとも寂しげでした。